彼は 野球を知っている
という言い方がある
それは ルールやセオリーの すき間にあり
ゲームの流れの ある重大の局面において
絶妙に繰り出される 判断・行動体系のことをいう
多くの場合 野球が出来る 野球が上手い
よりも上位概念として用いられる
職場においても 同様の 評価基準があるのでは
と今日 ふと思った
仕事ができて 仕事が上手い人は
多くの場合 仕事を知っている
しかし稀に そうじゃない人もいる
できる 上手い はスキルの問題だが
知っている はセンスや人格の問題なのだろう
そういう彼が 上司の場合
部下は 業務中に訪れる 要所要所で
つねに失望し やがて去って行く
]]>広告を効果的にするには、必ずしも消費者の合理性に
訴えるまでもないという発見に基づいたものだ。
実のところ、商品を買う理由を与える必要などはない。
ブランドとは信頼であり、信頼はひたすら感情的で
直感的なアピールによって育まれる。
かくして、広告はどんどん消費者の合理性を
まったく無視しようと努めている。
これの何よりの明白な証拠は、
広告に占める言葉の量が着実に容赦なく減っていることだ。」
ジョゼフ・ヒース著 『啓蒙思想2.0』
]]>ボクが会社員になったばかりの頃
まだバブルの残り香が 漂っていて
飲み会の二次会は いつもカラオケだった
後輩が あの曲を誇らしげに絶唱しているの聞いて
その軽薄で幼稚な感じに 困惑したものだ
その後 繰り返し耳にして キャッチーで分かりやすくて
とても広告コピー的だなあ と感心したりもした
KANというミュージシャンは その後
どういう活動をしていたか よく知らないが
訃報を知って ボクより三つ上だということが分かった
ご冥福をお祈り申し上げます
今思えば 「心配ないからね・・・」というフレーズは
バブル後の暗い予兆を 払拭しようとしていたのかもしれない
さらに リーマンショップ デフレときて
同時多発テロ 大震災 疫病蔓延 戦争 の現在だ
「心配ないからね・・・」と歌う とぼけたミュージシャンは
もういない
]]>面白い人とよく遭遇する
自宅前の交差点を 渡ったところで
かわいらしい 女の子に「あの・・」と声をかけられる
近所で待ち合わせをしていたママが来ない という
なるほど しかし おっちゃんはどうすれば良いか分からず
「おっちゃんは どうすればいいだろうか?」と 素直に聞く
近くに家があるので 鍵がかかっていると思うけど
一緒に行ってください という
聞くと 事務所のとなりのマンションだったので 一緒に歩く
スマホ持ってますか? と聞くと お家にある との返事
家について 玄関レバーを引いたが やはり施錠されている
お母さんの電話番号 分かる? と聞いたら
わかりません・・ と か細い声で答える
「ママが 待ち合わせ場所で キミを探しているかも知れないから
そこまで クルマで行こうか?」と聞くと
いえ いいです・・・
知らないおっちゃんのクルマに乗っちゃダメか・・・
近所に おばあちゃんちがあります
そうか じゃあ そっち行ってみようか・・・
そこへ 白いクルマが駐車場に入ってきた
ママです と彼女は安心した顔で言った
よかったね バイバイ とオレ
・・・さて 彼女は どうしてオレに声をかけたのだろうか
ただ 心細くなって だれかに状況を伝えたくて
声をかけたのだろうか
コワオモテのおっちゃんに 声をかけるのは
さぞ勇気がいったろう・・・
思い当たることが ひとつある
オレは azというレンタル衣装店のロゴの入った
おおきなオレンジ色のバックを持っていた
かわいい おっちゃんと思ったにちがいない
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だから 「もてなしの精神がある」
というようなコピーを 行政発行の広報メディアでよく目にする
四国にお遍路さんに対する 「おせったい」文化が生まれ
今も息づいているのは事実だろう
ただし これには「同行二人」という
宗教的な精神性・バックボーンがある
「おせったい」をすることで
弘法大師を敬う
自らの徳を積む
お遍路さんに自分の想いを託す
「おせったい」と「客人をもてなす」という行為は
その背景となる精神性からして異なると理解した方がいい
「客人をもてなす」ということは前提に「商い」がある
逆に「商い」の精神性がないと
客人をもてなすことはできない
わが町には 四国遍路ゆかりの おもてなしの精神がある
というのは 幻想ではないかと思う
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B2ポスター
design:杉崎義彦+西岡賢幸 photo:米津 光 copy:新居篤志
clinet:さなごうち大川原高原ヒルクライム実行委員会
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無論 大切なことで
それが 四苦八苦の世を生き抜く
安全弁になっているとも思う
しかし 最近 見聞きする人たちのなかには
自己肯定のタイミングが ちょい早すぎないか
と感じてしまう人が 多い気がする
ほっときゃいいんだけど 気になる
ま がんばって ほっておくことにする
]]>鳴門市大麻町にある 東林院というお寺の
副住職さんとの出会いから 仏教に興味がわいて
すこしづつながら その世界観を学んでいる
親父が亡くなり 捉えどころのない閉塞感を
覚えていた時期と重なる
仏教 とくに真言密教は
頼り寄りかかれる 絶対的存在ではなく
自己模索の哲学大系のようなものだと 分かってきた
たとえば 四苦八苦というコトバを何気に使ってきたが
四苦は 生老病死 の4つの苦
さらに 愛別離苦(愛するものとの別れ)
怨憎会苦(怨み憎しみを抱く) 求不得苦(求めても手に入らない)
五蘊盛苦(身体も心も思い通りにならない)
をくわえ 八苦になるとのことだ
人と苦は つねに同居状態にあることを表していて
大いに納得感がある また 四苦の冒頭に
生 があるところが コピー的で本質的だと思ったりする
そのようなことを うつらうつらと思考していくと
妙に 脳がほぐれ 癒されたりするから 不思議なものだ
仏教も宗教といわれる 由縁だと思ったりする
]]>
NHKのドキュメンタリー番組を観た
共通する 凶暴さ 狂気性は
常人には 見当がつかない
同時代に生き 同様の過酷な境遇を背負っても
彼らのようになる確率は 極めて低い
人は 知性でどうにかなる と考えがちだが
暴力をまとう狂人には 通用しない
対話で 外交で問題解決を とかいう声は
ロシアのウクライナ侵略以降 めっきり聞かない
暴力をまとう狂人に 何を話せばいいのか
だれも 分からないのだろう
]]>
肉を食わないことの正義を 熱心に語っていたが
その固執に 周囲は辟易としていた
彼女は 食肉工場の現場を もっと見てもらいたい
正しい情報にもっと触れて欲しい と熱心に語っていたが
新興宗教やイデオロギーに 取り憑かれた人と同様に
言葉を尽くしても 語気を強めても 相手には響かない
左翼とか右翼の人たちも同じで
精神を安定させる拠り所として 自分にフィットする
正義を持ちたい という心持ちは察するが
そもそも 正しさや正義という概念に
限界があることを 分かった方がいい
]]>それ以外のレトリックは 幻想でしかない
質と量ではなく 量と質 であるのは
量が質をともなう という経験則に基づく
あるモノに対して センスがないと言うのは
その対象に対して 興味がないと言っているのと
ほぼ同義であるが
もし あるモノに対して センスがある人でありたいならば
その情報の量と質を 徹底的に追えばいいだけだ
センスがある と自負している人が
ときどき 滑稽に映る場合があるが
それは 自身の情報の量と質を
疑っていないからだと推測する
]]>
という理由は 3つしかない
1 自分の力不足
2 相手の目が節穴
3 その両方
なので
注力すべきは 1しかない
]]>作り手ありき で語られることが多いが
実際は 依頼主と作り手の 協働の産物である
素晴らしいものが生まれた場合も
作り手だけを褒めてはいけない
くだらないものが生まれた場合も
作り手だけを責めてはいけない
広告行為は 依頼主と作り手の
共同正犯なのだから
]]>できあがったものが すべてである
眼前に提示されたものが 立派か否かの評価は
作り手と受け手 各人に委ねられるが
波及効果というのは れっきとして実存する と信じている
集客数 反響数 売上など 数字に置き換えられるものもあれば
置き換えられないものもある
その 置き換えられないもの の実存を意識し
そこに投資することが ブランディング感覚だと思っているが
なかなか 共有することは難しい
]]>
という記事を見る
思慮浅く
井の中の蛙で
品が無い
阿波おどり運営の
現在地を良く表している
]]>