Home ⁄ Notes ⁄ ZA Tokushima House プロジェクト
Wed December 7, 2011 [ Comments: 0 ]
ZA Tokushima House プロジェクト
■所信表明のようなもの
現実的であること
理想的であること
よく言われることだが、「住宅」は一生のうちで
一番大きな買い物のひとつである。
他方で、こんな声もよく耳にする。
「家は2回3回建てねば、納得できるものにならない」。
自分なりに情報収拾し、家づくりに臨んだが、
いざ住み始めるとさまざまな不満が出てきた、という話。
また、こういう声もある。
「建築家に相談したいが、自分の意見が
受け入れられないのではないか、という漠然とした不安がある」。
さらに、こういう声もある。
「あれこれ見たり聞いたりしたが、もうめんどくさくなったので、
感じのよさげな業者さんに丸投げした。もう少し熟慮すべきだった」。
「住宅は人生最大の買い物」であるにも関わらず、
これらのミスマッチ感ただよう多くの声は、いったいどういうことなんだろう?
僕は、ずっと疑問に思ってきた。
さらに、住宅メーカーが発信する宣伝物は、相も変わらず
「理想の家を私たちが提案します」という紋切り型の訴求が多い。
僕は広告業界に身を置く人間なので、
なぜそのようなメッセージになるのかはだいたい察しがつく。
簡単にいうと、どこかに「ごまかし」がある、ということだ。
たとえば「理想の家」は、費用を無限に設定すれば叶うのだろう。
「月面にログハウスをつくる」ということも現代なら可能かも知れない。
しかし、家づくりには必ず予算がある。
そのことを、売り手はあまり積極的に語ってこなかった。
それを語り始めると、消費者が描く「理想」が崩れさると考えるからだろう。
施主と設計・施工者のミスマッチを生んでいる
最大の原因は、ここにあると僕は思う。
「予算による制限=理想の崩壊」という考え方に、
そろそろ終止符を打つべきではないだろうか。
理想とは、限定された条件のなかで最大限の価値を獲得することである。
そう、シフトチェンジすべきだと思う。
大切なのは、予算を最大限に有効活用するために
何を選び、何を捨てるべきか、という
きめ細やかな「選択肢」と「客観的な情報」を提供することだと思う。
そこに、いっさいの「ごかまし」はあってはならない。
住宅メーカーがうたう「○○工法」にしても、「○○対策」にしても同じこと。
それ前提の論理展開・情報提供では、客観性に欠けているかもしれない。
現実的であることと、理想的であることは、必ず共存できる。
このプロジェクトは、その仮説を実験し、実証するシステムだと僕は捉えている。
またコピーライターとして、「ごまかし」に荷担しないメッセージづくりを、
どこまでできるか、という挑戦でもある。