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050対談-14(ゼロ・ゴ・ゼロ2011年9月号)

とくしま業界人本音トーク

へえ~そうなんだ!?  第十四回 総本家 橋本 社長 伊丹慎治さん

文:新居篤志 イラストレーション:藤本孝明

 

人の心に土足で踏み込むことを使命とする不肖コピーライター新居篤志が、徳島で頑張るいろんな業界の面々に、飾らない本音を聞き出す連載対談シリーズ。第十四回は阿波名物「生そば」の味を守る五代目社長、伊丹慎治のさんの登場です。

 

 

お後が、よろしいようで。

 

 

新居:「橋本」というのは名字だと思ってたんですが、実は伊丹さんだったんですね。

伊丹:ええ。初代の伊丹一郎が勤めておりましたそば店の屋号が「橋本」でして、後継ぎがいないということで暖簾を分けていただいたんだそうです。

新居:いつ頃の話ですか?

伊丹:明治31年のことです。

新居:「橋本」の前に「総本家」とついているのは、そういうことだったのですね。

伊丹:はい。

新居:社長で何代目ですか?

伊丹:5代目です。

新居:長男ですか?

伊丹:はい。

新居:ということは、やはり子どもの頃から家業を継がねば、という意識はありましたか?

伊丹:子どもの頃は、面白半分でそば打ちのまねごとをしたりして遊んでましたが、継ごうという気は、まったく無かったです(笑)。

新居:ほお、それはまたどうしてでしょうか?

伊丹:やっぱりね、どんな仕事でもそうだと思いますが、間近で見てるとそんなに夢のある仕事には思えないんですよ(笑)。

新居:なるほど・・・。伊丹社長は、どんな少年だったんですか?

伊丹:わりとですね、古いモノが好きな子でした。

新居:といいますと。

伊丹:音楽でいうと、当時流行っていた曲にはあんまり興味がなくて、水前寺清子の軍歌集を聴いてたりしてました。

新居:社長、何年生まれですか?

伊丹:昭和34年です。

新居:その世代ですと普通は南沙織とか山口百恵ですよね(笑)。

伊丹:ま、そうですかね(笑)。で、中学生になってからは落語が好きになりました。米朝とか枝雀をテープでよく聞いてましたね。

新居:シブイなあ~(笑)。失礼ですが、かなり変わった子でしたか?

伊丹:いえいえ、ごく普通の子でした(笑)。

新居:ひょっとしてお婆ちゃん子でしたか?

伊丹:まあ、そう言われればそうですね。祖母とはよく一緒にいましたから、影響は受けたんでしょうね。

新居:僕も最近、落語が好きになってきまして。上方では「時うどん」、江戸では「時そば」っていう定番ネタがありますよね。

伊丹:はい。

新居:代金を払う時に「ひい、ふう、みい・・・」と数えながら、「いま何時?」って店主に聞く話。あれって冷静に考えると実によくできてるなと感心してしまいます。誰かが言い出した小さな笑い話を、喋りの達人達がよってたかって洗練させ、構築した物語といいますか・・・

伊丹:落語の良さって、ストーリーの面白さや話芸の妙とかももちろんですが、古くから変わらない日本の文化や日本人の精神性みたいなものが感じられて、心が和んだり、気が休まるところも魅力だと思います。滑稽な話だけじゃなくて、人情話にも良いのがいっぱいあって、好きな噺は何度聞いても飽きないし、聞く度にいろんな発見があって味わい深いです。

新居:今のお話って、まさに「そば」にも通じる話ですよね。

伊丹:はい。

新居:伝統の技が今に息づいてて、食べると癒されるし、日本人で良かったなあと思います。とくに橋本さんのところのおそばはやさしい味というか、懐かしい味がして良いですね。

伊丹:ありがとうございます。

新居:徳島のそばは、東京のそばと比べてどうのこうの、という人もいますが、違ってていいんじゃないの、と僕は思います。

伊丹:そば好きの方は、皆さんそれぞれにひいきの味やこだわりがあると思います。どれが良いとか悪いではなくて、味とは本来そういうものだと思います。子どもの頃からずっと橋本の味に慣れ親しんでこられたお客様が、いつ来られても「あ~この味!」と思っていただくことが一番大切だと思っています。

新居:橋本伝統の味は、お客さんの心の中にある、ということですね。

伊丹:はい、それをしっかりと守り続けていくこと、新しい世代のお客様に拡げていくことが、私の使命だと感じています。

新居:社長はやっぱり総本家 橋本の社長になるべくして、生まれ育ってきたのですね。

伊丹:そうですかね(笑)。

新居:すべてはお婆ちゃんの作戦だったかもしれません。

伊丹:だとしたら、ほんまに長いフリですねえ(笑)。

新居:見事な熟練のフリです(笑)。

 

 

対談後記

中学生の頃、文豪のエッセイなんかを読むと、「そば屋で板わさをつまみに熱燗をちびりちびりとやりまして・・・」なんていう文章によく出合って、大人になったらそういう粋なことをやってみたいもんだ、と密かに思ってた。そういう飲み方ができる年齢になって、いざ行こうと思うと、徳島ではお酒を出すそば屋さんが意外に少ないことに気づかされた。が、さすがは総本家 橋本さん。そこら辺をよ~く分かってらっしゃっる。対談に伺った富田町店は、ほんのり顔を赤めた大人たちが、イイ感じでキューッと一杯やっていた。対談終了後は夕暮れ。そのまま帰れるわけもなく、「ちょっと、いきます?」と藤本画伯を誘うのであった。

 

 

 

◎Shinji Itami

昭和34年徳島市生まれ。関西大学卒業後、大手外食チェーン店に入社。昭和58年「そごう店」開店を期に帰郷・入社。平成13年に社長就任。「富田町店」「そば蔵」に加え、今年末オープン予定の藍住町「ゆめタウン」にも出店計画中。伝統の味を守り、新たな世代に伝えるべく日々奔走中。